たごもりすメモ

コードとかその他の話とか。

YAPC::ASIAで、あるいは他の勉強会で、しゃべりたいこと、聞きたいこと

幸いにもtalkが受理されたので20分のセッションの準備をしていたんだけど、そのとき考えたことについてとりとめもなく書く。

ソフトウェア関連の勉強会に行ってしゃべらせてもらうとき、当然「自分は何をやったのか」を話しに行く。世の中にあるコレがこうなってるよというセッションももちろんあるけど、もちろんその話をする人はカタログを読み上げてるだけじゃなくて、その人が読み、試したことがまずあるはずだ。
きちんとした経験に裏打ちされた紹介セッションは、その人が何を考えてそのソフトウェア/技術に取り組んだのか、何が実際に問題だったのかが透けて見えて面白い。*1

で、自分が「Whadaというツールを書きました」という内容のスライドの構成を考えていて思った。機能や利点の羅列って楽しいか? ということ。聞いている人が。
あらためて最初書こうと思っていた構成を脳内で再生してみると、聞く側の人間としては、正直あんまり面白くない。これができますよあれができますよ、んでこういう構造とデータの流れになってるんですよ、というのはわかるけど、それって既存のアレとの違いがよくわからん。なんでわざわざ書いたのさ。なんでそんなものを書きたくなったのさ。なんでわざわざ紹介したくなったのさ?

面白いのは常に問題意識と試行錯誤である説

書き上がったソフトウェア(あるいは出来上がった体制や運用手順やその他もろもろ)というのはあくまでひとつの解法であって、その前にあるはずの問題意識が共通でないと意味がない。異なった問題にやみくもに同じ解法を適用して上手く行くかどうかは運次第で、たぶん勝つ確率の方がずっと低い。あなたが直面した問題とわたしが直面している問題は同種の問題なのか、解法は同じなのか、定義域と値域*2は共通あるいは重なっている部分が大きいか。そういったことを吟味してはじめて同じ解法が使えるかどうかがわかる。

まあ自分がそのツールを使うかどうか考える視点ばかりじゃなくても、単純に面白さを求めて話を聞くとしても、やっぱり出発地点や途中経過を聞けた方がはるかに面白みが増す。最後に出てくる料理が美味であればそれは素晴らしいけど、せっかくひとつの場を共有するのであれば、元々はどんなものを作りたかったのか、材料をどうやって揃えたのか、調理にどんな苦労がありどんな失敗があって結末に辿りついたのかも聞きたい。結果に至るまでの小さな成功と失敗の連鎖についての物語が知りたい。

とはいえ

時間は無限にあるわけではないので、なかなかそう何もかもはしゃべれない。それはわかってるんだけどさ。

ということで今回自分は、そもそもどんな問題意識があったのかにフォーカスしてしゃべることにした。決めたら資料はさくっとできた。他の人が実際に聞いてどう思うかはよくわからないけど、自分にとっては多分面白く聞ける内容になってる、ような気がする。さすがに試行錯誤のあれこれをしゃべる時間はなさそうだけど、talkを聞いた上で面白いと思ってくれる人がいれば、15日夜に勝手後夜祭があるから、そこででもその前のどこかででも、声をかけてもらえればいくらでも話ができるんじゃないかなーと思う。

で、今更なんだけど、自分はそういう話が聞きたいのだ! とひとり宣言しておく。この週末のYAPC::ASIAでも、その他のあらゆる勉強会でも。みんながそういう話をしてくれると、自分はとても幸せだなあ。
そして自分が話をするときも、そういう内容にしていきたいなー、と思う。

*1:いや、カタログを読み上げているだけのイベントが世の中にあれこれあるのも知ってるけど。勉強会的な体裁でそれやるときは事前に書いておいてほしいな、行かないから……。

*2:使える選択肢と最終的な落としどころ、あたりかな

サラリーマン人生における希望と絶望

自分のささやかなサラリーマン人生において、大きい会社(の一部)も小さい会社も見てきたけれど、そこで気付いたことがあって、そんなもやもやが堆積してきたのでここに吐き出す。たぶんまとまらない。

サラリーマンには2種類いる。

会社を肯定する奴と文句ばかり言う奴、ではない。会社の文句を言う一方、同じ口で会社を肯定することも言う奴、と、会社のことを肯定も否定もしない奴だ。*1

自分の所属する会社に対して不平を言う人はけっこういる。取締役会の決めることや人事異動や予算配分やプレスリリースにしじゅう文句を抱えていて、お昼休みや飲み会やタバコ部屋であーだこーだいう話をする人はたぶんどこにでもいる*2
曰く、なんで会社が利益を出せているかが分からないくらいだ、会社がなんで存続できているかが不思議だ、あの上司はなんにもわかってない、今度のアレは失敗するに決まってる、あそこのアレがいつまでも改善されなくてうんざりだ……。

彼らの絶望は深い、ように見えるのだが、じゃあそんな状況見切りつけちゃってああすれば? こうする方法もあるよ? どうせ今が最悪ならいっそこういう手もあるんじゃね? と言うと、口から出てくる内容は反転する。なぜか。綺麗に。
曰く、そうすればいいことはわかっているんだが、組織ではそんなに簡単に物事は進まない、そんなことしたらついてこられない人がいる、社内みんながそれで納得するわけではない、客が嫌がるしついてこられない客も出る、失敗したらどうするんだ……。

どんな改善・改革案にだってマイナス点やコストはある。それを上回るメリットが出るならやるべきだし、やるべきだと思うなら(そして彼らの絶望が本当に深いのなら)どんなお偉方にだってそれを言って然るべきだ。しかし、そういう彼らは結局何も言わないし、言わないどころかメリットとデメリットの計量すらやらない。自社戦略の変更を嫌がりそうな客にどう言えばどれだけ繋ぎ止められるかを見積もったりしないし、計画がどのくらいの目算で失敗しそうかを考えたりしないし、ついてこられない社員にどういうトレーニングをすればよさそうかを考えないし、改善案に納得しない社員と現状に深刻な不満を抱いている社員のどちらが多そうかを考えないし、最後に「組織では」といって現状の構造を肯定する。

たまに妙にポジティブな絶望erが現れる。

彼らの言い分はこうだ。「現状が悪いのはわかっている。だから俺は少しずつでもこの会社を変えたい。そのために会社に残って頑張っていく。」
これはみんなが知っているアレ、「踊る大捜査線」の主人公であるところの青島と室井の言うことにそっくりだ、というかそのまんまだ。そのために俺は偉くなる。偉くなって上から変えてやる。いまにみていろ。そのために今は絶望と戦うのだ。

しかしちょっと待ってくれ。考えてみてほしい。なぜ「踊る大捜査線」のこの物言いが爽快に映るのか。
彼らはヒーローだ。ヒーローが自分達にできないことをスカッと言いきり、そのために行動する、それが自分達にできないことで爽快だから喝采を送るんじゃないのか。そして室井が東大卒で*3キャリア官僚で出世レースのトップを突っ走っていて、そんな「夢物語」が実現してしまいそうだからこそ青島の希望が虚しく見えずに済んでいたんじゃないだろうか。
彼らポジティブな絶望erが、大企業で偉くなって会社を変えてやる、と言うとき、彼らはヒーローと同じことを言っているとわかっているだろうか。

余談だが、「踊る大捜査線 THE MOVIE」では、誘拐された警視庁副総監が和久と旧知であり、昔に青島と室井の誓いと似たようなことを語りあった仲だ、というエピソードがあった。あれはその場の空気だけ見るといい話だなあ的シーンで終わるんだけど、冷静に考えてみるとひどいことだ。
何十年*4という昔に誓いあったことに両者が邁進したのだとして、その結果の警察の現状が、青島と室井が絶望せざるをえないアレだってことだ。昔よりいくらか前進したのかもしれないとしても、しかしまだヒーローたちが絶望を抱えざるをえない現状。和久の昔の誓いとはなんだったんだ? 青島と室井の誓いも結局は似たレベルの結末にしか辿りつけないんじゃないのか? 現状に絶望しないで済むまで、いったい何世代のヒーロー達が絶望の中で奮闘しなくてはならないんだ?

大企業を変えてやるといったあの人達は、そういったことをどう考えているんだろう。そして彼ら自身がある日にその誓いを忘れたとき、彼を信じて踏み留まっていた人達が思うであろう絶望について考えたことがあるんだろうか。

絶望から逃げ、希望を考えるのこと。

自分は極めて簡単に言うと、会社に絶望を覚えるのには飽きた。だから絶望感を覚えた会社からは逃げるように転職している。それが今までの人生で二度あったことだ。
もちろん絶望的な会社にあって、その現状を変えることは不可能ではない。いつでもどんなことにでも可能性はある。ただしその可能性が大きいことなのか小さいことなのかは考えてみるべきだ。日本の、おそらく大企業のほとんどと中小企業のかなりの割合の会社では、経営に近いところに影響力を持てるのはある程度の年齢以上の人間だ、ということになっている。そのような会社で会社を変えるためにいったい何年絶望に耐えないといけないのかを考えてみるといいと思う。*5

会社を変えることと自分の居場所を変えることを考えれば、後者の方がはるかに簡単だ。自分はそう考えた。そう考えると同時に、会社に対する絶望を考えるのはやめた。それはもう意味のないことだからだ。

いっぽう、自分に対する希望と絶望をよく考えるようになった。自分に力がなければ居場所を変えられないという恐怖はあるし、自分がどんなに頑張っても今以上の力を持てなくなる(あるいは失っていく)日が来るかもしれない、というのは根本的に拭えない絶望でもある。
ただし希望ももちろんある。自分がソフトウェア開発者だということを考えたとき、自分の作ったソフトウェアが公開され世間の人が少しでもそれに触れてくれれば、それが便利だと思っていくらかの期間でも使ってくれれば、それは世界を少しだけ、ほんの少しだけ良い方向に動かしたということだ。そう言っていいと思う。もちろんジョブズのようにあまりに圧倒的な成果と較べれば見えるかどうかも怪しいけれど、それでもやっぱり希望ではある。

*1:会社において起こるささやかなあれこれをdisるというのは「否定」には入らない、ということにしておく。ではなくて、会社の経営方針だとか戦略目標だとか、そういう生き死にに直結する何かのことだ。

*2:余談だが、自分は最初に転職してからすぐ、基本的には同僚と昼休みを一緒に過ごさないように変えた。タバコ部屋にもそのうち行かなくなった。ああいう場所はそういう空気が不可避的にできてしまう気がした。……で、今の会社では飲み会で技術の話かアホ話した覚えがないので、そういう空気があるかは知らないんだけど。

*3:はてブより:そういえば室井は東大じゃなかった!そんなシーンのあれこれをいまさらながら思い出しました。

*4:もう定年という年齢の副総監が現場近くにいた頃なんだろうから三十年前であってもおかしくない

*5:中小企業のいくらかの割合ではそもそも親族とその取り巻きが会社を支配しているところも少なくなく、そのようなところでの絶望の深さは想像を絶する。自分はそのような会社を経験したことがない。