たごもりすメモ

コードとかその他の話とか。

専門用語を並べてしゃべる専門家は許せない、という人は愚かである、という話

ちょっと最近腹に据えかねる記事がネットで散見されるので敢えてアレなタイトルで、よろしくおねがいします。
なおこの記事は、自分はソフトウェアエンジニアリングの専門家であるので、そのような領域を大雑把に想定して書かれております。が、たぶん他の専門領域においても似たような状況なのではないかと推察しております。

専門用語ばかり使って会話するような人は本当のプロではない

という言説を最近ちょくちょく見ますね。曰く、普通の人に説明できないようではダメだ。曰く、普通の人でも重要性が理解できないように話せないということは、実際にはお前のやっていることは重要ではないのだ。曰く、専門用語ばかりで会話するようでは実際の能力はわからない、専門用語などわからなくても本当に能力がある人にはあるのだ。

んなわけねーだろ。

専門家というのは、非専門家には扱えない問題を扱う専門家だから専門家として働けていて、それなりの待遇をもらっているわけです。その領域には非常に多くの前提を要求する問題というのが数多くあるわけです。
で、専門的な、難しい問題を解こうと業務上の努力をしている場合、こういった前提をいちいち確認しながら仕事してたら話が進まないわけですね。専門家どうしでコミュニケーションをとるとき、難しい問題を解くためには当然知っているはずの知識について面倒な前提の確認をすっとばすためのものが「専門用語」と言われるものなんですよ。その共通となる下地の知識無しでは、その土台の上にある問題と格闘できるわけがないんですね。

もちろん、何らかの専門的な問題と格闘するとき、その問題が何であるのかという説明ができないようでは困ります。説明ができないということは、つまり、その問題そのものに対する理解が足りてない可能性がある、ということだからです。
逆に言うと、本当に専門家なのであれば、その人が格闘している問題について世界で最も詳しいのはその人自身である可能性もあります。つまり他の人には何かしらの方法で説明できない限り、その研究あるいは技術の有用性を理解させることができないかもしれないのです。だからきちんと教育を受けた人は、自分以外の(ある程度バックグラウンドを共有している)人に対して説明する能力を有しています*1

しかしそんな説明を日常の仕事のレベルでやれるわけがありません。そんなことをやっていたらオーバーヘッドが大きすぎて効率が極端に低下するからです。だから、ある業務領域の専門家として働いている以上は知っていてほしいはずの専門用語を知らないということは、単に能力が無いか、体系化されていないだけで能力としては持っているかもしれないものの非常に低い効率で働いているか、どちらかだということになるのです。

もちろんある領域の専門用語を知らないからといって地頭が悪いということを意味するわけではありませんし、何かの用語を知らなくても実際には頭がいい人というのもいるでしょうが、たぶんその頭のよさは無駄に使われてるんじゃないですかねえ。

とはいえ専門外の人でも理解できる必要があるのではないか

そのとおりです。

例えばコンピュータシステムにおいて何か問題が起きたとき、その根本的原因は何だったのか、どのように対応してどのような結果になったのか、どのようにすれば再発が回避できるのか、などなどは、例えば経営者やサポートスタッフや営業やその他多くの人も知る必要がある、というケースなどがあるでしょう。

そのような時に専門外の人にきちんと説明できる、というのは、それはそれでひとつの能力です。そしてそれは、全ての「専門家」が持っているべき能力というものではありません。なぜなら、それを専門にする人達がいるからです。企業の部署単位で言えば各々の部署のマネージャがそれに当たるでしょうし、もっと大きい単位で言えば例えばNASAの広報官とか、あれ超絶の専門家ですよね。各種の問題を一般向けの書籍にして出版しているような人もこの種の専門家と言えるでしょう。

各部署のマネージャやNASAの広報官は、べつに専門的な問題の解決について各々の専門家より高い能力を持っているわけではありません。場合によっては各々の専門家が使っている専門用語の数割しか理解できないこともあるでしょう。
しかし彼らがなぜその位置にいるかと言えば、必要なときに必要なだけ各々の専門家に対して聞きとりを行い、話を咀嚼し、そして専門外の人が理解できるようさらに分解して話す、という技能を持っているからです。これはこれで技術を必要とするもので、個別の専門家が備えているようなものではないし、個別の専門家が備えられるものでもありません。

そうは言っても例外ケースとかあるんじゃないの

もちろん、あります。例えばスタートアップ企業で一人目の、あるいはごく初期数人の技術者の一人として働く場合などがそうです。
この場合はそもそもチームが各方面の専門家一人ずつ、全部で数人、ということになるため、もちろん非専門家の人に説明するための人、などという贅沢は言っていられません。自分で全部やる必要があります。

こういったケースはおそらく他にもあるでしょうが、そもそもチームが大きくなったらその人はCTOなり何らかのリーダー的なポジションを期待されることとなるでしょうから、どちらにせよ、ある程度以上は非専門家に伝える技能を暗黙に期待されていると思ってよいでしょう。

結論

以上をまとめると、専門用語ばかり使う専門家は駄目だ、という言説はふたつの重要な点を無視していると言えます。

ひとつ、専門用語というものは業務を高効率で遂行する際のコミュニケーションには必須のもので、必要に応じて使っている用語の意味の確認などを挟む必要はあるものの、むしろこれを使わないというのは単純に業務効率を下げるだけであるということ。
ひとつ、専門的な話題を一般向けにわかるように伝えるというのはそれだけでひとつの専門的な技術であり、この技術は誰でも持てるようなものではない、ということ。

専門用語ばかり使う専門家は駄目だという人は、この非常に明確なふたつの事実が見えていない、ということだと自分は考えています。

*1:研究者の場合はこれが論文になります