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たごもりすメモ

コードとかその他の話とか。

4年前、おれがSIerの片隅で、何者でもなかった頃

今からちょうど4年前の2010年2月、某巨大SIerの片隅でExcelPowerPointばかりを眺めて過ごしていた頃、おれは仕事でも仕事以外でもコードなんかまったく書いていなかったし、GitHubのアカウントも持ってなかった。毎日見積書とWBSと納品書と請求書と、Excel方眼紙の詳細設計書と格闘してた。

当時おれは30歳だった。一度はプログラマとして生きるのは自分には無理だと思って入社したSIerで数年やってて、そこそこ成功した数年を送っているとは思っていたけど、でもやっぱり、そんな毎日に飽きていた。

技術力を重視とか言いながらプロパー社員にコードを書かせようとしない会社の方針にも、svnもgitも閉じられててガチガチに監視されたネットワークに繋がせておいてオープンソースがどうのと言う文化にも、手順や履歴を重視とか言いながらロクにバージョン管理システムを使おうとしない一部の同僚にも、プロジェクトマネジメント重視と言いながら「人月の神話」を読んだことがないどころか書名すら知らない親会社の自称プロマネの達人にも、本当に飽き飽きしていた。

それで2010年の2月、自分はもしかしてまだコードを書いて生きていく道があるかもしれない、少なくとも試すなら今しかない、と思って、開発用のノートPCを一台買った。VAIO Tは当時では開発用として使いやすいノートPCで、届いてすぐにUbuntuに載せ換えたのを覚えてる。
当時流行りかかっていた Google App Engine でコードを書いてみようと思ってSDKをインストールして、いきなり分からないことが山積したからとりあえずTwitterに放流した。色んな人が食い付いてきてくれて、本当に色々なことを教わったし、その中で深掘りしていったら、色々教えてくれた彼らでも実は細かく見てなかったことをいくつか見付けたりもした。

それは技術的にはGoogle App Engineというクローズドな環境についての話だったけど、議論していたのはGAE Python SDKという、少なくともコードが読めるという意味ではオープンな環境についての話で、そうして、おれのオープンソースな世界での活動が始まった、と言っていいと思う。

書いたコードの量で言うとあの頃、あれから半年でGAEについて書いたコードの量は、その後に較べれば大したことはないんだけど、それでもいまだに会う人からはたまに、あの時代のあのコードのことを覚えている、と言われる。あの半年で知り合った人達は、いまでも大事な友人だと思っている。彼らとはいまだに数ヶ月おきに会っては飲みながら技術の話をするけれど、それは本当にすばらしい時間だ。

今でも、何者になったかなんて偉そうなことは多分言えなくて、このエントリのタイトルは、まあ釣りだ。いまだに周囲を見渡すと、手の届かない世界ですごいコードを書き続けている人、本当に万金の価値をもつcommitをする人、想像もしてなかった手法で運用を改善し続ける人はいくらでもいて、自分がそこに辿り着くまでの道程の遠さを考えて呆然とする。いつもしてる。

それでも、自分の活動への何がしかの評価をもらえると知って思ったのは、4年前のあのときにとりあえずやってみた一歩がどれだけ大事だったかということ、そういうことで人生というのは変わるんだ、ということだ。

ここまでの話をひっくり返すと、もちろん、もしかしたら自分は幸運な例なのかもしれない。たまたまやったことが上手くいって、いい時にいい人と知り合えて、それでこんなことになっているのかもしれない。何かやってみるか、とやってみた人の大半は、もしかしたら上手くいかないのかもしれない。

でも、やっぱり、やってみること、やり始めたことを続けることが大事なんだよ。上手くいかなくても責任は取れないけどさ、それでもやってみることは大事なんだよ。

次はこれを読んでいる君の順番だと、そう思う。30歳だろうとなんだろうと遅くはない。40歳になっても50歳になってもコードを書いて生きていけるって、今ではそう思っている。

だから、今なんだよ、始めるなら。